鱈(たら)とレバー

勝負の世界に『たら・れば』話は不要である、或いは、意味を為さない、ということは一般的によく言われていることである。

「あのとき、ストレートではなくて変化球で勝負してたら…」
「自分のスイングができていれば…」

確かに、そんなことを言ってもあとの祭りだ。
そのときの結果なり判断がそのときの自分自身の実力であり、そのことをあーだこーだ言って認めようとしないのでは何も生まれないし、もちろん成長もない。

しかし、『たら・れば』話は勝負の世界において本当に不要なのか?
そのようなことを以前ゼミの先生と交わした覚えがある。

「勝負の世界において、必ずしも『たら・れば』話は意味がないというわけではない」

過ぎ去ったことに関して、「あーしておけば…」「こーしていれば…」と後悔ばかりして、後悔にしがみついていること。
来たる先の勝負に関して、「こう来たらこう反応して…」「こういう変化があればこう対応して…」とシミュレーションすること。
この2つは同じ『たら・れば』話でも、それぞれの持つ性格は全く違う。
一方は、勝負への「後悔」。
もう一方は、勝負への「準備」。

一見、何の変わり映えもない普通のことと思われがちだが、こうしてよくよく考えてみると「なるほど」と思わされる。

後悔だけで終わらない。後悔をしっかりと次の準備に繋げる。
勝負の世界で結果を残している者というのは、こういうことがきちんと実践できているんだろうな、と思う。
このことって実は難しかったりする。


昨日の僕に対して白黒はっきりつけるならば、それはきっと「負け」だろう。
過ぎたことに後悔ばっかりしてた。
これを準備に繋げることができるだろうか。
さぁ、僕は成長することができるのだろうか。

そうは言っても、
今でもやっぱり後悔の念は大きい。
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by rrrrryooooo0727 | 2006-08-23 14:58 | 独り言
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